大阪難波・湊町エリアから出発したお散歩は、この後、道頓堀川に沿って東の方に進んで行きます。

道頓堀川の上流側におしゃれな石造りの橋が見えたので、そこを目標に歩きました。
『大黒橋』という橋で、今回夜の写真しかないんですが、江戸時代にあった津波で大きな被害を受けたという歴史的にも興味深い橋なのでご紹介します。

大黒橋とは
見た感じとても新しいこの『大黒橋』は、元々は江戸時代から架かっている歴史ある橋です。

昭和5年(1930) に架けられていた鉄筋コンクリートアーチ橋を、約80年後の平成21年(2009)に新たに架け替えられたものが現在の橋です。
旧橋は、河川浄化用の可動堰を併設した重厚感のあるアーチ橋で、新橋はそのデザインを踏襲して作られたそうです。

江戸時代の大黒橋

この『大黒橋』の始まりは、元和元年(1615)に道頓堀川が開削されて間もない頃に架けられたと伝わっており、江戸時代初期の地図には『なんば橋』『下橋』と記載されていました。
元禄16年(1703年)の『公私要覧』という文献には『大黒橋』とあり、これ以降はこの名前が定着したようです
橋の名前は、木津の大黒神社への参道に当たっていたことが由来なんだとか。
江戸時代にあった当時の橋は木橋で、橋長42.7メートル、幅員2.4メートルと記録されています。
安政南海地震の津波で被害を受けた歴史
嘉永7年(1854年)11月4日(現在の暦で12月23日)に安政東海地震により東海地方を中心に津波が、それから36時間後の11月5日(現在の暦で12月24日)に安政南海地震で紀伊半島・四国・九州を中心に津波が来ました。
(現在で言うところの『東南海トラフ地震』ということになるようです。)
この時大阪(大坂)では、木津川から道頓堀川へ津波がさかのぼり、西道頓堀川の橋は全て壊れ、さらに遡上してきた船や壊れた橋が『大黒橋』に引っ掛かり岸へ乗り上げ、周辺の家屋が壊され甚大な被害を被ったという記録が残っています。
津波の高さ自体はそんなに大したことはなかったみたいですが、地震を恐れて船に避難していた人達や壊れた橋を巻き込んで遡上してきたもので被害が大きくなったようです。
現在は、水門で川を管理しているので江戸時代のようなことは起こらないとしても、大阪に津波が来る時は難波位まで水が遡ってくる可能性もなくはないので、大阪の方は心のどこかに情報として持っておいても損はないかもしれません。

道頓堀・戎橋へ
そんな歴史的背景があった『大黒橋』を通り過ぎ、個性的で大阪らしいお店が並ぶ西道頓堀地域を抜けた後、次回は道頓堀・戎橋エリアに進みます。

道頓堀西側は、東側に比べてあまり目立たないのですが、いろんなお店があっていかにも大阪らしいエリアになっています。
今回の経路も1キロ弱ですが、写真を撮りながらウロウロしていたのでちょっと時間がかかりました。

ということで、次回は道頓堀・戎橋です。

コメント(承認制★反映までしばらくお待ち下さい)
大阪の街は、いろいろ変化があって歩いていても楽しそうですよね♪
2kmなんてあっと言う間に終わりそう。
道頓堀ホテル…凄いですねw
大阪って川もあるし海もあるし釣り人って多いのでしょうか?
あんまり釣具屋さんがたくさんあるイメージはないんですが。
このGoogleのアプリ?良さそうですね。
ランニングでも始めようかと思っているので、毎日の記録に使えそうです。
こんにちは。。
今は立派でモダンな大国橋も、
江戸時代当初は木製で幅員が2.4m・・・
・・・これでは今の時代のほとんどの自動車は通行が難しいです^^
今の幅員は予想ですけれど、最低でも5~6m、
もしかしたら余裕で10mはあるでしょうから、
そういう意味でも歴史の流れ、重みを感じます。。
津波の被害が道頓堀に・・・、、
たしか中心地の梅田も近いのでしょうから、
そうなると大阪市の中心地が、
津波が脅威・リスクということになるでしょうか、、
副首都構想もあるでしょうから。。