更新にめちゃくちゃ、時間が空いてしまいましたが
本日が、北浜・街歩きレビューの最終日。
北浜『難波橋』の橋の、両サイドに鎮座するライオンちゃんと
凝りに凝りまくったお洒落な外観と、ビックリなトリビアをご紹介します。
1つめのビックリは、橋の四隅に鎮座するライオンちゃん
この『なにわ橋』は、橋の四隅に、ライオンちゃんが鎮座しているので
別名、『ライオン橋』と呼ばれて、親しまれているんです。
たまたま、地下鉄出口にあったライオンちゃんを、撮影して帰ってきたのですが
帰ってきてから、この橋を調べたら、ビックリな事実が、アレコレ噴出。
まず一つ目は、橋の四隅に鎮座するライオンちゃん。
このライオン像、なんと『狛犬』だったんです!
橋の南詰めおよび北詰めには、最上級の黒雲母花崗岩を素材にした獅子像(=ライオンの石像、天岡均一作)が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。このライオンは天王寺動物園の当時非常に珍しかったライオンがモデルと言われている。像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており、狛犬(狛犬はライオンがモデルといわれる)の形式を採った獅子=ライオンであると言える。
(引用:wikipedia・難波橋より)
う~ん、ここにライオンがいるのは、昔から知っていましたが
『阿吽(あ・うん)の形式』をとっている、狛犬とは知りませんでした!
ということは、私が撮って帰ってきた冒頭の写真は
下り車線側(東側)にある、口を閉じた『吽形像(うんぎょうぞう)』なんですね。
上り車線側(西側)の、口を開けた『阿形像(あぎょうぞう)』の
写真も、撮ってくるんだったなぁ~。
ひとまず、ウィキぺディアにあった『阿形像』の写真をお借りしてきました。
写真引用:ウィキペディア『難波橋から南をのぞむ』
うん!
確かに、こっちのは口を開けて、牙をむいていますね。
狛犬とか、風水って、とても興味があるので、後日、日を改めて
両方のライオンちゃんの撮影に、行ってきたいと思います♪
2つめのビックリは、橋の意匠
この橋、大阪に似つかわしくない、重厚さと上品さを兼ね備えた西洋風で
細かいところまで、丁寧に作りこまれた、レトロな風情にツボりました。
大阪市の市章である『みおつくし』があしらわれた、『高欄』や『欄干』しかり。
これ、すっごく大きいんですよ(下の写真参照ください)。
鐘楼みたいな高欄って、なんて言う名前なんでしょうか。
分かる方おられたら、ぜひ教えてください。
大阪市中央公会堂をバックに橋を眺めていると、一瞬パリかと思うほどです。
(それは言い過ぎか・・・(笑))
外灯も、明治時代風でしょ?
バラ園に降りる石造りの階段も、レトロでとっても素敵。
階段の両サイドから、大地真央と黒木瞳が降りてきそうです(古い?www)
こんな、作りこまれた橋が、大正時代に作られたんですよ。
(引用:写真の中の明治大正)
当時はさぞかし、壮麗で目立ちまくりの橋だったことだろうと思います。
ちなみに、今の橋は、両サイドに高層ビルと、北側に阪神高速があり
観光客や出張のビジネスマンの方は、見逃して通り過ぎてしまうかもしれません。
北浜にお寄りの際は、ぜひとも時間を作って訪れていただきたい場所です。
3つめのビックリは、デザインの参考になった元の橋。
で、自宅に帰ってきてから、ウィキペディアを調べたら、『難波橋』は
私の大好きな、フランスの『ポンヌフ(ヌフ橋)』を参考に、製作された橋だったんです。
(あと、『アレクサンドル3世橋』も参考にしたそうで)
その昔、『ポンヌフの恋人』という、フランス映画があって
レトロな石造りの橋『ポンヌフ』の上が、主な舞台の映画だったんです。
この『ポンヌフ』は、川の中州みたいな『シテ島』をまたいで掛かる
2つで1つのアーチ橋なんだそうで、『中之島』をまたいで掛けることになる
『難波橋』の、参考になったんでしょうね。
↓ポンヌフ(写真引用:ウィキペディアより)
今のこの難波橋は、1915年(大正4年)にかけられたそうなんですが
丁度今年で、100年ですよね。
ということは、今年100周年を迎えた
『大阪市立天王寺動物園』と、タメですよね。
『天王寺動物園』は、いろいろイベントとかコラボとかしてるのに
どうして『難波橋』は、もっと大々的に、キャンペーンしないんだろう・・・
(過去記事:『【食】大阪市天王寺動物園 カレーラーメン・実食レビュー』)
大阪って、素敵な建物があんまりなくて、神戸の人がうらやましいなぁ~と思っていたんですが
探せば、風情のある建物や、西洋風の造形物が、たくさんあるんですね。
目から鱗の、新たな発見になりました。
私の今後の『大阪の街歩き』に、レトロな建物巡りが、加わりそうです♪
コメントありがとうございます!
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