先日来よりご紹介している、【水都大阪2015】の『ラバーダック』展示。
今日は、その会場となった、中之島バラ園のある
『北浜・難波橋周辺』を、ご紹介します。
大阪の金融街・北浜についてご紹介
北浜、特に、中之島エリアは、金融関係の企業や、官公庁が集まるエリアで
古くから、大阪の経済と金融の中心地でした。
冒頭の写真は、大阪市営地下鉄と京阪電車の
北浜駅・出口の難波橋入口なのですが
出口のすぐ筋向いには、有名な『大阪証券取引所』があります。
『日本銀行 大阪支店』をはじめ、多くの銀行や証券会社の
本支店があるのも、この地域の特徴です。
そして、前回もご紹介しましたが、橋を挟んで西側には
『大阪市中央公会堂』や、『大阪市役所』など官公庁の施設、
『大阪府立中之島図書館』や『東洋陶磁美術館』などの
文化的な施設が、集中しています。
↓重要文化財・大阪市中央公会堂
歩いて行けるか行けないか位の、微妙な距離ですが
梅田も、すぐそこに見えるんですよ。
(健脚な方は歩けるかも。私は、ちょっと無理(笑))
ちなみに、中央のビルが、『ヒルトン大阪』
すぐ右の、茶色くて丸いビルが『大阪第一ホテル』
そして、中央より少し左、丸い屋根とヘリポートだけ見えるのが
『リッツ・カールトン大阪』が入っている『ハービス大阪』です。
外国人客急増で、大阪のホテルの予約が取りにくくなっている昨今
北浜や淀屋橋のホテルは、USJ旅行には、ちと不便な場所なのですが
大阪訪問の目的によっては、環境的にも、お値段的にも
私は、穴場だと思っていまして・・・
そんな、北浜のホテルに関しては、また後日ご紹介します。
(つーか、このブログ、ホテル紹介のブログだったはずなんですが
管理人の趣味の『街歩き』系の記事の方が、優先になってきてしまいました(笑))
北浜と中之島をつなぐ橋について
で、大阪の方でも、知らない方がおられるんですが
『中之島』というのは、文字通り『島』でして
この、『中之島バラ園』のある『中之島』東部をまたぐように
大川にかかる橋を、『難波橋(なにわばし)』といいます。
昔の橋は、藩や地元の有志で、建設・管理するものだったのですが
この『難波橋』は、江戸幕府の経費で作られ、維持管理されてきた
『公儀橋(こうぎばし)』と呼ばれた、幕府直轄の重要な橋でした。
ちなみに、この『大川』にかかる『公儀橋』は、この【難波橋】と
天神祭りで有名な、【天満橋】と【天神橋】で
この3つの橋をまとめて、【浪華三大橋】と呼ばれるのですが
その昔、『大塩平八郎の乱』が起こった際に
幕府が、この三大橋を破壊して、大塩軍を足止めしようとしました。
【大塩平八郎の乱について触れた別記事(別ウィンドウで開きます)】】
真田幸村のいた時代よりも前のお話、そして戦国時代より後のお話【安居神社訪問記その2】
この橋が破壊されると、大坂の南北の行き来が難しくなることが
とてもよくわかる例なんですが、大阪の公儀橋は全部で12橋あるのですが
どの橋も、大阪の政治・経済の中心地や、交通の要所なんですね。
ただ、実際には、【天満橋】と【天神橋】まで破壊したものの
この【難波橋】を、破壊している途中で、間に合わず
大塩軍に、【難波橋】を渡らせてしまい、乱が拡大しました。
江戸時代には、木製の、全長200メートルもある
当時としては、巨大な橋だったそうで、全部壊すのも一苦労ですよね。
歴史上の人物が行き交っていた橋なんだ、と思うと
歴史好きとしては、感慨深いものがあります。
ちなみに、現在の橋は、明治時代に、鉄製の橋に架け替えられ
補修を繰り返し、今に至るものです。
とってもレトロで、ヨーロッパ的なデザインの橋なのですが
『難波橋』の、素敵なデザインについては
長くなりましたので、また次回、ご紹介しますね。
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