こどもと歩く大阪散歩ノート

更新の間が開きすぎて、忘れそうになってましたが、『逢坂(おうさか)』を通って『四天王寺』→『一心寺』→『安居神社』をめぐる、街歩きレビュー。

前回記事は、『天王寺七坂』の中で唯一、現在の国道になっている『逢坂』の高低差と、神社仏閣の位置関係でした。

後編は、真田幸村(信繁)・戦死の地として有名な『安居神社』の、本殿と境内のご紹介なのですが、幸村の話と、それ以外の話を分けたいので、後編をその1、その2に分けてお届けします。

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『逢坂(国道25号線)』を通って、『安居神社』へ  

まずは、国道25号線『逢坂(おうさか)』を挟んで『一心寺』の斜め向かい、 南側入り口にある、安居神社境内の案内図です。

実は、神社の案内版よりも、左の『子育て四訓』にドキッとして、目が釘付けになってしまいました。

乳飲み子からは肌を離すな
幼児は肌を離して手を離すな
少年は手を離して目を離すな
青年は目を離して心を離すな

この4分類でいくと、うちのチビは『少年』の分類に入ると思うんですが、エラソーなことばっかり言うので、放っておいてたら、「ママ~」とか泣きついてくるし、どれ位、手を離していいのか、さじ加減が難しい時期です(笑)

とにかく、手を出さずに、目を離さずにいたらいいんですね。でも、それが難しくて悩んでるんやけどな・・・、と、案内板の前で、しばし物思いにふけって佇んでしまいました(はよ夏休み終わって学校行ってくれへんかな~、みたいな(爆★))

では、ここから境内に入っていきます。

建物と建物の間の細道を、しばし進んでいくと、境内に入ることができます。

敷地は、とてもコンパクトで、『近所にある地元の神社』みたいな、気取らない素朴な雰囲気。

参拝者は、私がいる間に、わずか3人。とても、大阪市のど真ん中・天王寺区にある神社とは思えないほど、静寂に包まれていました。

大河ドラマ『真田丸』で、大坂冬の陣・夏の陣のパートが始まると、一時的に、こんなに静かな場所でなくなる可能性があります。

「一度行ってみたいな」と思っている方は、今(8月)は暑すぎて大変なので、もうちょっと涼しくなる9~10月頃に訪れてみることをオススメします。

手水舎で、お清めをさせていただこうとしたら、猫ちゃんが近寄ってきて、手水舎の水を飲み始めました。

「私が、ここの守り人(猫)です」(アパホテルの社長風)という感じの、無言の自己主張を感じた、微笑ましい瞬間でした。

そして、真田幸村・最期の地へ

大坂・夏の陣『天王寺・岡山の戦い』に敗れた幸村が、休息をとっていたところを討ち取られた(と言われている)場所が、境内に入ってすぐにあります。

『天王寺』は、今のJR天王寺駅周辺で、安居神社からは歩いて10分ほどの場所になります。

『岡山』については以前、大阪国際女子マラソンのコース沿いにある、『岡山(現・御勝山古墳)』に訪れた際の記事がありますので、よかったら併せてご覧ください。

過去記事:『大阪国際女子マラソン』のコースは、『真田丸』をはじめとした大坂・冬の陣&夏の陣の史跡を疾走していくので必見♪

碑の後ろ側にある、【さなだ松】という松の木の下で討ち取られたそうなのですが、実際の松は枯れてしまって、現在の松は2代目だそうです。

とても整備が行き届いていて、お供え物やお花も整然と並び、関係者さんや地元の方に愛され、大切にされている場所なのだなぁ~、と感じました。

ただ、あまりに無粋で空気を読まない発言ですが、「本当にここで亡くなったのかなぁ~?」というのが、第一印象で、ここからまた、私の悪い癖で、あれこれと、自分が納得するための検証(妄想?)が始まってしまいましたwww

安居神社の位置から、幸村(信繁)の最期を勝手に妄想

実は幸村が亡くなった場所や、時期には諸説あり、その一つに、この場所ではなく、もう少し数百メートル離れた場所(単なる普通の原っぱ)で亡くなった、という説があります。

(「そもそも、実は死んでなくて、落ち延びて天寿を全うした」という説は、ひとまず便宜上、ここでは除外します。)

確かに、本陣・茶臼山に近すぎるので、こんなところで休んでいたら、見つかるのは時間の問題だし、再起を期して隠れて休むなら、もうちょっと離れた場所かな、という気もしないでもないです。

ちなみに友軍は、立て直しのために、大坂城に入城するために後退し始めていたそうなので、そもそも、休まなくてもそのまま大坂城まで、まっすぐ撤退してもよかったと思うんです。

でも、全てやり切って、もう動けなくて、最期の死に場所を探していたのなら、やはり、この場所かな、というより、「この場所であってほしい」という感じが、個人的にしました。

「この場所であってほしい」と感じた理由は、後で述べるとして、調べてみると、この場所が戦死の地になった経緯については、ウィキペディア情報では、 下記のような事情があったようです。

信繁討死についても諸説があるが、一般的には「安居神社で石畳に腰をかけているところを討たれた」と言われている。安井神社は天王寺公園・茶臼山の北にある一心寺の北に所在する。これは明治時代に旧帝国陸軍参謀本部が制定したものとされ、安井神社にある「眞田幸村戦死跡之碑」には戦死の地の選定に際しての参謀本部の関与を示す一文が刻まれている。

やはり、「幸村の生涯」を凝縮したイメージから、「この場所が一番ふさわしい」「この場所であってほしい」と、多くの人が考えるのが、この『安居神社』なのかもしれない、と感じました。

安居神社が、人生節目の舞台になりやすい理由を妄想

幸村最期の地、というイメージが大きすぎて忘れられがちですが、ここは天満宮なので、神牛像があります。

幸村の像は西の海の方角を、神牛は、天神様のおわす本殿の方角(東)を向いています。

本殿の中は、幸村ゆかりのグッズが多数おかれていましたが、梅の紋があることからも分かるように、ご祭神が「天神様」の御本殿。

実はこの場所は、幸村にとって、あの世への旅立ちの地であると同時に、菅原道真にとっても、大宰府への旅立ちの地。道真公の死後、天神様をお祀りするようになったそうなんです。

安居神社はその昔、海が今よりもっと近くに見える場所で、特に、海に沈む夕日が綺麗な観光(?)スポット、そして、日想観の修行スポットでした。

有名・無名を問わず、人が、ここで海を見ながら、いろいろと今までの人生を振り返ってみたりする場所だったのかもしれません。

実際に訪れないと高低差をイメージできないと思うので、ネット上のツールをお借りして、3Dの地図を作製して、地名を書き込んでみました。

(参考&引用:国土地理院・立体地図

まずは平面図から↓

この地図を、実際の高低差に合わせて立体化します。丁度、上町大地の西の端なので、急激に土地の高さが変わり、安居神社は、坂の中腹になることが見てとれます。↓

分かりにくいので、地図を傾けてみました。イメージ的には、少し西にある、難波の今宮戎神社(昔は海辺の神社)あたりから、安居神社のある東方向を見た感じに、地図を傾けてみました。

中央の赤い点が安居神社で、崖の中腹より少し上あたり、茶臼山方面からは少しだけ死角になっていることが分かります。

天王寺・岡山の戦いは、「だいたい昼頃から始まって15時位に勝敗が決し」、「16時位に大阪城が炎上」したと言われているので、幸村が安居神社に入ったとして、討ち死にしたのは15時よりも前ということになります。

そして、幸村が死んだのが、旧暦5月7日。「旧暦5月は夏至の月」、と言われているので、このあたりでは、一番分かりやすく真西向きに太陽が海に向かっていく時期だったろうと考えられます。

ちなみに西向きの参道は、急激な坂道になっています。写真をご覧いただくと、『坂』というより、『崖』と言った方がピッタリくる感じが、なんとなく伝わるのでは、と思います。

昔は、夕日が沈む西は、西方浄土の方角と考えられていて、祈りの対象(方角)だったことを考えると、 全てを出し切った諦めの境地で、死に場所と覚悟を決めて、あえてこの場所で休んでいた、と、解釈することもできます。

全て推測の域を出ない話ですが、以前どこかで、幸村の息子が大坂城での切腹前に、西に向かって念仏を唱えた、みたいな話を聞いたことがありました。

子がそうなら、当然、それを教育したのは親なので、最期の時が近づいた時、幸村も、あえて西(西方浄土)がよく見える、この場所に移動したの「かも」、ということで・・・

私の中で一応、「ほんまにこの場所なんかな?なんでここなんかな??」という、無粋な疑問符に決着を付けました。

幸村関係のアレコレが腑に落ちたところで、今度は菅原道真と天神さん、そして、菅原道真が祀られる以前からの元々のご祭神、少彦名神について、あれこれ考えてみたのですが、それはまた次回のお話しということで・・・

続く(^o^)

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コメントありがとうございます!

コメント

  1. 戦国マニア

    私も討ち取られたという説ですが、疑問ありです。
    今まで色々な武将自決場所や討ち取られた場所を見てきましたが、討ち取られる場所としては、不自然です。討ち死の場合は、敵をかく乱し、討って前に出て壮絶な死に方をします。
    おそらく、自決したと思います。休息したとありますが、休息は自決する前の準備です。幸村は本当に好かれていたのでしょう。最後まで戦って討ち死したと書き換えられています。

    • 戦国マニアさん、こんにちは。

      こんな小さなブログを見つけて下さって
      コメントまで頂戴し、ありがとうございます!

      >今まで色々な武将自決場所や討ち取られた場所を見てきましたが、討ち取られる場所としては、不自然です。

      やはり、そう思われますか?

      このすぐ近くに
      討ち死にした本多忠朝のお墓があるのですが
      この辺りは、茶臼山の超激戦区だったはずで
      一休みしている間に討ち取られるような場所
      ではないような気がしました。

      最後は力いっぱい戦って
      この辺りのどこかで壮絶に討ち死にしたか
      この辺りのどこかで覚悟の自決をしたか
      そのどちらかのような気がしています。

      >幸村は本当に好かれていたのでしょう。

      そうですよね。
      こんなにたくさんの人に好かれる武将も
      珍しいですよね♪

      戦国好きの方に記事を読んでいただいて
      ご意見をお聞かせいただけるとは本当に光栄でした。

      たまに戦国時代の史跡などを巡って記事を書いていますので
      もしまた機会がありましたら、色々教えて下さい。

      この度はどうもありがあとうございました(^o^)