前回は、真田幸村(信繁)の最期の地として、『安居神社』をご紹介しましたが、実は、この地は1615年の幸村の死から、遡ること更に約700年前『菅原道真公』が立ち寄った場所としても有名です。
さらに数百年遡れば、記録にはないけれど、『聖徳太子』や『法然上人』も立ち寄ってたかもしれなくて、なんだか歴史のロマンを感じる場所ですね♪
冒頭の写真は、安居神社奥から、天王寺七坂の一つ、『天神坂』に降りる、参道の石階段からの風景です(階段先の道路は一般道で、天神坂は神社からは見えません)。
天満宮ののぼり旗が見えますが、元々少彦名神をお祀りする神社だったのが、天神さんも祀られるきっかけになったのが、菅原道真公の来訪でした。
安居神社のご由緒
こちらの神社、創建された正確な年は分かっていませんが、四天王寺創建(593年)と同時期なのではないか、という説があります。
そして、菅原道真公が、筑紫へ左遷される際、海が荒れたため、風待ちのため、一時的に立ち寄ったことをきっかけに、約40年後の西暦942年に、菅原道真公がお祀りされるようになりました。
名前の由来は、道真公が「やすんでいた」から、『安居(やすい)』と呼ばれるようになった、という説と、ほかにも、天王寺七名水『癇静め(かんしずめ)の井戸』があったことから『安井』となった、という説、など諸説あります。
詳細にご興味のある方は、下の『安居神社由緒略記』をご覧ください。
『安居神社』のご本殿・天神社
ご本殿は、由緒略歴にもあるように、震災で焼失したので、昭和26年に復興されたものです。
以前ご紹介した、三光神社もそうでしたが、大阪市の中心部なので、大阪大空襲の被害を受けたんですね。
【過去記事(別ウィンドウで開きます)】
玉造筋から一本横道に入ると、そこは真田の抜け穴跡がある『三光神社』
本殿正面には、社殿の新しさの割には歴史を感じさせる狛犬。
「宝暦十二年六月吉日」に建立されたそうです。(西暦で言うと、1762年)
1762年というとどういう年なのかなと思って調べたんですが、徳川9代将軍・徳川家重の時代で、8代将軍・吉宗の後、という以外は、私的に、あまりピンとくる時代ではありませんでした。
ちなみに、お隣の朝鮮では丁度、韓国ドラマにもなっている『イサン』のお爺さん・英祖が、『イサン』のお父さん(英祖の子・皇太子)を死に追いやったエピソードがドラマの最初にありましたが、丁度その年が1762年なんだそうです。(ウィキペディアで調べた情報)
NHKなどで何度も再放送してるので、ご覧になった方もおられるかと思いますが、私も、韓国ドラマ自体には興味ないのですが、韓国の歴史ドラマは大好きです♪
韓流ドラマを見ない方には分かりづらいですが、英祖というのは、『トンイ』に出てくる、トンイが産んだヨニングン(延礽君)なんですよね。
あんなに素直で可愛くて利発だった子(あれは子役さんですがwww)が、将来、わが子を死刑にする王様になるとは、人生というのは、何が起こるか分からないものですね。
・・・と、思いっきり話がそれてしまいましたが、つまりは、とても古い狛犬ということです(笑)
幸村のいた戦国時代の後の『安居神社』
大阪夏の陣で、安居神社周辺は、かなり荒廃してしまっていたらしいのですが、それを江戸時代に復興させた人がいます。
下村彦右衛門さんという人で、 『大丸』という、関西では有名な老舗百貨店の創業者さんです。
今現在、平成のこの時代にも、『大丸』が氏子を務めているほど、企業ぐるみで篤く信仰していて、江戸時代当時、安居神社は別名『大丸天神』とも言われてたんだとか。
下村彦右衛門氏は、義商として名高かったのですが、その後も初代の『先義後利』という家訓を代々忠実に守り、『大塩平八郎の乱』でも、大丸は焼き討ちを逃れたほど尊敬されていました。
(『先義後利』とは、『義を優先し、利は後回しにせよ』という格言だったり、『他人様のお役に立つことを優先にしていたら、利益は後からちゃんとついてくる』という意味)
この方、『福助人形』のモデル候補の一人としても有名で、享保2年(1717年)に、京都・伏見で創業した呉服屋『大丸』が、後に心斎橋に移転したのを機に、私財で安居神社の社殿や、周囲の森を修復させたそうなんです。
【大塩平八郎について触れた過去記事(別ウィンドウで開きます)】
大塩平八郎も渡った、北浜・『難波橋(なにわばし)』周辺の光景
下村彦右衛門さんが、安居の森を復興させてくださって、その後、地元の方々に大切にされてきたので、今、都会のど真ん中なのに、こんな緑にあふれた場所になっているんですね♪
社殿の北側には、特別大きな樹がありました。
大阪市の保存樹 第73号の『くすのき』。
高さが17メートルもあり、神社の敷地の端っこまで下がって、しゃがんで写真を撮ったのですが、それでも全体を撮ることができませんでした(それが2枚上の写真)。
楠の木の下には、達筆すぎて、何と書いてあるか分からない(笑)石碑3つ。
そして、『金山彦』『金山媛』『淡島大神』をお祀りする摂社がありました。
元々のご祭神・少彦名神(知恵の神様)もそうですが、 海上安全の神様と、鉄鋼の神様がいらっしゃるのは、かつての海の玄関口の名残でしょうか。
大陸から鉄の材料や、鉄工や鍛冶関係の職人さん、その他、最新の技術を伝える人たちが、やってきていたんでしょうね。
摂社の前、西側には、お稲荷さんのお社。この向こうには、かつて、海が見えていたはずです。
ということで以上、聖徳太子のおられた頃から(またはそのずっと前から)、菅原道真の時代、真田幸村の時代、商人の街となった江戸時代、昭和の大空襲を経て、ず~っと大阪の歴史とともにあった神社『安居神社』をご紹介しました♪
コメントありがとうございます!
すご~い!
正直言って歴史が苦手な私ですが、
とても解りやすい文章なので読み入ってしまいました。
下手なガイドブックよりずっと参考になると思います。
『安居神社』に訪れる人は、まず、この「子供と歩く大阪散歩ノート」の
『安居神社』の記事を読んでから訪れるべきです。
私も訪ねてみたいです^^
よんだーさま、こんばんは。
コメントありがとうございます(^o^)
元々が、地味でマイナーで、場所の分かりにくい神社なので
「もっと宣伝して、いろんな人に知ってもらいたい」などと
意味不明の使命感に取りつかれてしまいました(笑)
今回の大河ドラマをきっかけに、注目を浴びて観光客が増えて
その中から少しでも「おやっ?菅原道真も??」と
興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいな~と思います。