子供と歩く大阪散歩ノート

今年もまた、色鮮やかなイペーの花が咲く季節がやってきました、といっても、もう季節が終わりかけなのですが・・・

今回は、イペーのお花を観つつ、最近ニュースで露出がふえた「愛染さん」にお参りに行ってきましたので、一心寺のイペーの花と、愛染堂を順にご紹介します。

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一心寺のイペー@2018.5.11

GW後半に寝込んでしまい、訪れたのが5月11日、お花を見るにはもう遅いかも~と思いつつ、自転車をすっ飛ばして行ってまいりましたw

今年のお花はもう終わりに近づいているようでしたが、なんとか坂沿いの1本のお花だけ見ることができました。

検索でお越しになった方は、今年のお花はスッカスカで、もしガッカリさせてしまったら申し訳ありません。

もしよかったら、昨年2017年の記事には、たくさんお花が咲いている写真がありますので、是非ご覧くださいね♪

初夏に咲くお花は、気持ちが明るくなるというか、元気がいただけますね  o(^o^)o

日本最古の夏祭り「愛染まつり」が2018年から縮小に

GW明け位に全国で流れたニュースなのですが、大阪の「愛染まつり」が大幅に縮小されるとのこと。

「愛染まつり」は、聖徳太子が始めたと言われる日本最初の夏祭りで、大阪三大まつりの一つと言われているんですが、大阪以外では全く知名度がないので、こんな全国ニュースになるなんて!と正直驚きました。

なんでも、一部の若者による迷惑行為が横行して、付近にお住いの方が迷惑しているとのことで、今年は、露天の出店と一部行事が中止になると発表されました。

谷町筋(四天王寺西門前交差点→南方向に撮影)

簡単に言うと、「谷町筋の屋台は出ない」「愛染娘は公募しない」「籠に愛染娘を乗せて谷町筋を練り歩くパレードは境内でのみ」ということなのですが、これがどれ程のインパクトかイメージ付かないですよね。

ざっくりというと、このお祭り(3日間)に訪れる人が、例年20万人前後、露店の数が300店前後と言われているので、人がどれ位減るかは蓋を開けてみないと分からないとして、かなり静かなお祭りになることは間違いなさそうです。

そもそも愛染さんとは?

そもそも「愛染さんって何?」ということで、先日撮ってきた写真と共に、お寺のアレコレや、私の思い出話(完全にどうでもいい余談)などご紹介させていただきます。

私達大阪の人間は、「愛染さん」とか「愛染堂」とか呼んだりしますが、正式名称は「愛染堂・勝鬘院」で、「あいぜんどう・しょうまんいん」と読みます。

薬医門

聖徳太子が建立した四天王寺・四箇院のひとつ・施薬院(薬草を栽培してお薬にして庶民に分け与える施設)があった場所に建てられた「勝鬘院」という寺院がルーツと伝えられています。

ちなみに聖徳太子が建立した四天王寺は、このブログでもよく出てきますが、愛染堂から東向きに歩いて谷町筋を渡ったお向かいにあります。

金堂と境内

金堂は、織田信長の石山攻めで焼失したものを、江戸時代になってから徳川秀忠が再建したもので、大阪府の指定文化財に指定されています。

金堂のご本尊は愛染明王で、「愛染堂」という通称の方が、今では有名になっています。

近年大河ドラマでもありましたが、直江兼続が、愛の文字のついた兜をかぶっていましたが、あの兜の文字のルーツは愛染明王を信仰していたからと言われています。

多宝塔

「多宝塔」は、593年に聖徳太子により創建され、その後、織田信長の石山攻めで焼失した後、1597年に豊臣秀吉により再建されたものです。

この多宝塔は、国の重要文化財に指定されていますが、大阪市内で現存する最古の木造建築物で、この周辺は空襲の被害が酷かったのですが、よく焼けずに残ってくれたなと大感謝です。

入口の薬医門入ってすぐの「愛染めの霊水」の井戸屋形(豊臣秀吉建立)が、空襲で焼失していますので、金堂や多宝塔のほんの数十メートルまで火が迫っていたということになります。

今現在の愛染めの霊水

境内の隅にある、樹齢数百年の桂の木にノウゼンカズラが巻き付いた霊木「愛染かつら」も有名です。

あと1か月ほどたてば、オレンジのノウゼンカズラの花が咲き始めるのではないでしょうか?

愛染かつら

この愛染堂は四天王寺の別院ということで、毎年お祭りの時には、四天王寺の管長猊下はじめ僧侶の方々が愛染堂の多宝塔まで訪れて、「夏越しの祓えの大法要」を行います。

「管長猊下」って聞くと、なんかゲームのラスボスっぽい感じがしますが(すみません・・・(>.<))、私は毎年お盆の万灯供養の時に猊下の入場を見ますが、実際ものすごい存在感です。

四天王寺・万灯供養の法要にて

上と下の写真は、万灯供養の時に四天王寺で撮った写真なので、愛染堂まで出向く時もこんな風に行進していくのかはわかりませんが、四天王寺のお坊さん方が集結してのご供養は、一度見ておいて損はないと思います。

肝心の猊下が支柱に隠れてしまった写真w

毎年万灯供養でたくさんのお坊さん方が一斉に読経されるのを聞きますが、身体全体にお経が響く感じで、ものすごく気持ちがいいんです。

なお、今年の愛染祭りでは、出店やイベントは中止になりますが、この大法要と、ご本尊御開帳は行われます。

もしかしたらすいているであろう今年は、ゆっくり本来の日本の夏祭りのルーツを見るチャンスかもしれませんよ!(とかいって、今年も混んでたらごめんなさい。)

昔の愛染祭と今は?

ところでこの「愛染まつり」、昔は愛染娘なんかいなかったよなぁ~と思い出してみたり・・・

私が子供の時は、今里新地の芸妓さんが宝恵駕籠 (ほえかご)に乗って、愛染さんまで練り歩くのが習わしで、けっこう落ち着いたお祭りだったように記憶しているんですけどね・・・

芸妓さんが少なくなって、かごに乗る人を確保するのが難しくなったのか、お客さんを沢山集めるために若くて可愛い女の子を公募するようになったのか、正確ないきさつは分かりません。

いつの頃からか、公募で選ばれた「愛染娘」なる若い女性が籠に乗って派手にパレードをしたり、「愛染女組」というグループが境内でパフォーマンスなどをするようになったんですよね。

愛染娘に選ばれた女性が後々芸能界に進む事例もあり、タイアップして開かれるミスコンなどもあり、どんどんイベント化していったような気がしないでもないです。

それにしても、浴衣姿の美しい女性が毎年出てくるので、カメラ小僧が集まるのは知っていましたが、愛染さんに関係なく単に騒ぐ若者が集まる場になっているとは知りませんでした。

ただ、私の亡き祖父が、福娘や天神娘を毎年欠かさず全員カメラに収めるカメラ小僧(カメラ爺?w)でして、祖父が齢80を過ぎても愛染娘を撮影しに出かけていた記憶があるので、そんなに浅い歴史ではないはずなんです。

ちょっと気になって調べてみたら、歴代愛染娘の情報は、平成10年の情報が一番古かったので、今里新地の芸妓さん→愛染娘への切り替わってから、20年位になるみたいですね。

参考情報:公式サイト・歴代の愛染娘

祖父が存命の当時はフイルム→現像の時代で、見ず知らずの女性をフイルム何個分も撮るなんてもったいないな~、と、私の父をはじめ家族全員で苦々しく思っていましたが・・・w

結局祖父は100歳超えるまで元気に生きてくれましたし、精力的に美しい女性を追い求めてアチコチ出歩くというのも、誰かに迷惑をかけない範囲なら、決して悪い趣味じゃないなと思った次第です。

この「誰かに迷惑をかけない範囲」というのが非常に重要なポイントで、結局、浴衣姿の美しい女性が笑顔で花を添えてくれる「愛染まつり」であっても、暴れたり騒いだりせずに「健康的に」みんなで楽しめるようになればよいな~と思うのです。

話が、どうでもいいうちのエロじじいの思い出話の方向に、著しくそれてしまいましたが、祖父は今、愛染さんの筋向いの四天王寺さんに眠っていますが、もし生きていたら、愛染まつりの縮小について何と言うのか感想を聞いてみたかったですw

しかし、愛染さんの目と鼻の先には、天王寺警察署があるのに、バイクで大きな音を出しながら走り回る人たちを取り締まれないとは・・・

警察でも秩序を維持管理しきれないのに、お寺が自前で雇った警備員さんに血気盛んな若者の相手などできるはずがないので、お寺の関係者さんは毎年さぞお心を痛めておられただろうとお察しします。

一度ショック療法的に祭りを縮小して、原点回帰するのもよいかもしれませんね。

祭りの知名度を上げて人を集めないと祭りの伝統を維持するのは難しいけれど、人が管理できないほど集まったら祭りの秩序を維持するのが難しくなる・・・

この両方の願いを両立させるのは本当に難しいですね。

最後に豆知識・山口百恵さんの歌「愛染橋」について

昔の歌謡曲で「愛染橋」という山口百恵さんの歌があり、Youtubeでも観ることができます。

この「愛染橋」という橋は、昔、昭和の初め頃、愛染さんの近くの高津入堀川にかかっていた橋です。

今はもうこの高津入堀川は埋め立てられて、愛染橋もありません。

昔その橋の近くにあった「愛染橋病院」という総合病院(大阪では新生児集中治療室を持つことで有名)の名前に、今は名残をとどめる程度です。

その病院も今は、少し西に移転して、現在は日本橋の電気屋街の一筋裏にあります。

愛染橋病院(googleストリートビューより転載)

四天王寺の四箇院が社会福祉の原点だと言われているのに対し、愛染橋病院ができるきっかけを作った石井十次氏は近代社会福祉の先駆者と言われています。

この地は、古きよきものと神社仏閣、色事や芸事に関することにご縁のある土地なのですが、実は福祉に関することにもご縁のある街なんですよね。

うまく説明できませんが、この街を歩いてみると、なんだか「人間の人生の縮図」っぽい所だな~と、ふとそんな風に感じました。

愛染さんにお参りしたことのある方は、関西にお住まいの方でも少ないと思うので、四天王寺さんや近隣の神社にお越しの際は、ぜひ一度愛染堂・勝鬘院さんにもお立ち寄りくださいね。


愛染堂勝鬘院
〒 543-0075 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-36

●oo○ooo●  最後まで読んで下さりありがとうございます。  ●ooo○oo●
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  1. こんにちは!
    りんママさんも、エロじじいwwの血を引いてるので、写真がお好きなんですねw

    イペーは初耳でした。
    ググってみると、花言葉が「秘密の恋」だそうです( *´艸`)アハハ

    しかし、「多宝塔」。
    1597年建立の建物が残ってるなんて、すごいですよね。
    年取ったせいかw、大河の影響か、大河の終わりで紹介される場所とか見てみたいんですよね。
    でも、千葉にはなにもないww

    • たたとあさん、こんばんは

      千葉には何もないことはないですよ!

      千葉といえば、香取神宮と成田山新勝寺が
      一番最初に思い浮かびます。

      愛染さんの多宝塔よりも、ずっと歴史のある場所だし
      生きている間に一度は行ってみたい所です♪
      (千葉はディズニーランドしか行ったことがありませんw)

      >大河の終わりで紹介される場所とか見てみたいんですよね。

      これ、すごくよく分かりますw
      私は数年前の真田丸の時、群馬に行きたい病に罹りましたw

      それにしても、イペーの花言葉が「秘密の恋」とは…
      勉強になりました♪

  2. こんにちは。。

    大阪3大祭りのひとつが、これまた随分思い切った縮小の様子ですね。。
    時代の流れとともに規模も大きくハデになった半面、一部の方々に注目されて、ココなら騒げたり暴れたりすることができると認識されてしまった感じなのかと感じます。。
    まあでも、こういう流れや裁定も、もしかしたら神様のされたことかもしれません。。
    ハデな演出はなくても、ましてや普段から、とても情緒あふれる場所なのですから、これからも心ある方々が、この地を愛していけば・・・、なのかと思います。。

    それにしても、相当な騒音だったのでしょうね(汗。。。

    • コスモさん、こんばんは

      >ココなら騒げたり暴れたりすることができると認識されてしまった

      そうなのです。まさに仰る通りで
      暴れているのは、地元の人でも祭り関係者でもないんですよね。

      まるで毎年成人式で騒ぎを起こすのがお約束みたいな
      毎年羽目を外す人が集まって来るのが
      「恒例」になってしまっていたようです。

      >こういう流れや裁定も、もしかしたら神様のされたことかもしれません。。

      私もそう思います。

      すべてひっくるめて、何もかも
      神様・仏様の想定内なのかもしれないな~と。

      なので、この先どういうことになるか分からないけど
      どんな形になっても、それはそれで
      最善の方向なのだろうなと、そんな気がしています。

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