桜満開の大阪城公園・その2@2026年4月

前回記事の続きです。

西日がきつかったので、逆光を避けるため大阪城の南側へ。

先日底が見えかけていた内堀の水をチェックするためです。

最近少しづつ雨が増えてきたので、ほんのちょっとだけですがお堀の水が増えていました。

本来であればこのまま天守閣エリアに行く流れですが、人の多さに閉口してそのまま西側エリアにチャリを飛ばすことに。

外堀外まで出て、大阪城公園と大阪ビジネスパークを結ぶ新鴫野橋までやってきました。

大阪城公園内の方が有名で人が多いのですが、大阪ビジネスパーク周辺もなかなかキレイな場所です。

新鴫野橋は以前橋の記事でご紹介したことがあります。

江戸時代からあった『元祖』鴫野橋なのに、陸軍省管轄内の一般人立ち入り禁止の場所にあった橋ゆえに知名度がなく、後から架けられていた街中の鴫野橋と名前がかぶってしまい『新』鴫野橋という名になったという橋です。

江戸時代には大阪城内と場外をつなぐ橋、明治維新後は陸軍省に出入りする橋、そして現在は大阪ビジネスパークと大阪城公園をつなぐ橋です。

ここの桜の美しさは格別なのですが、今年は下に大きなブルーシートを敷いて場所取りがされていて景観的にはちと残念なことにw

すごい余談なのですが、最近は宴会の場所取りを社員に任せるのは『業務外』か『業務内』か、育った年代によって見解が分かれるそうなのです。

私がOL(←死語?)だった時代は、若手社員で尚且つ他社さんと場所取りのもめ事があっても大丈夫なように体育会系社員かコミュ力おばけの営業若手が場所取りに行くというのが慣例になってました。

花の咲くタイミングによって平日・休日関係なく早朝や下手したら前日夜から場所取りに奔走してましたが当然無給で、今はそんなことを若手に頼むとパワハラになりかねないし、そもそも会社単位で花見になど行かないとのことで時代は変わったなぁとw

話は戻って…w。上の写真、第二寝屋川という川で、船も行き来します。

上の写真の川の奥に生駒山がチラリと見えますが、戦国時代や豊臣の時代には、大阪城を守る自然の要害であるとともに、奈良と大阪を船で結ぶ経路の一つだったようです。

下の写真は、少し西側から大阪ビジネスパークを写したものですが、手前の大きな川が『寝屋川』で、左に分岐していくのが『寝屋川』、そして右に分岐していくのが『第二寝屋川』になります。

向かって右に見えるのが新鴫野橋

そしてこの分岐元の寝屋川も、もう少し西に行くと『大川』という川に合流します。

この近辺は川が二股に分かれている場所が多くて、なおかつ昔と今では地図が違ったりするので今色々昔の資料を調べているところです。

また、八百八橋紀行の記事を書く時に詳しくふれたいと思います♪

 

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