子供と歩く大阪散歩ノート

 少し前の記事で『大阪城公園』のすぐそばの『大阪ビジネスパーク』を橋の上で撮った写真でご紹介しました。

この橋は『新鴫野橋』という橋なのですが、当日あまりいい橋の写真が撮れなかったのでどうしようか迷っていたのですが。

ですが、かなり数奇な運命をたどった橋なので、写真は少ないですがご紹介することにしました。

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新鴫野橋とは

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通常は古い歴史から時系列を追ってご紹介するものなのですが、今回は昭和に入ってからの橋の歴史から先にご紹介します。

『新鴫野橋』は大阪市中央区大阪城と中央区城見をつなぐ『第二寝屋川』にかかる橋として、昭和63年にかけ替えられた比較的新しい橋です。

(余談ですが、大阪城の住所は”大阪市中央区大阪城1”です。わかりやすいですねw)

実はこの『新鴫野橋』とほぼ同じ場所には、江戸時代に『鴫野橋』という橋がかかっていたそうなんです。

ただ、大阪城の敷地内にあったため一般の人が立ち入ることがなく、ほとんど誰にも知られることのない橋でした。

この状況は明治に入ってからも同じで、このエリア全域は陸軍省の管轄になったので一般人はほとんど知らない知名度の低い橋のままでした。

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知名度が低いとか、誰も知らないたとか、強調してるけど何か弊害があったのか?と感じるかもです。

実は昭和6年のことなのですが、大阪市城東区鴫野西の寝屋川に行政が『鴫野橋』という名前の橋をかけてしまったんです。

行政さえも『(元祖の)鴫野橋』の存在を知らなかったため、橋の名がカブってしまうというハプニングが…。

しかも、橋の名がカブってることが発覚したのが戦後に大阪市に陸軍省の区域が移管された時。

架けられてから10年以上経ってから橋の名前が重複していることが発覚したそうなんです。

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後から掛けられたとはいえ『鴫野橋』はもう10年以上から存在して既に地元の人に市民権(?)を得てしまっていたので、先にできていたのに知名度の低かった大阪城の方にある『鴫野橋』に『新』をつける形で改名されることになってしまいました。

ここまで書いていて、加勢大周と新加勢大周の裁判を急に懐かしく思い出してしまったのは私だけでしょうかw

かくして、歴史ある『鴫野橋』の方が『新鴫野橋』に改名されてしまって今に至ります。

(↓下の写真は大阪ビジネスパーク側から撮られた写真。素材集からお借りしてきました。)

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江戸時代の『鴫野橋』について

江戸時代にあったかつての『鴫野橋』は、当時大坂に12橋しかなかった江戸幕府直轄の公儀橋(こうぎばし)の一つでした。

江戸時代には大阪城と定番下屋敷をつなぐ橋として、明治以降には陸軍砲兵工廠と大阪城本丸近くの陸軍第四師団司令部をつなぐ橋として、一般の人のためではなく常に「公」の性質の強い橋だったようです。

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橋の欄干が神社や寺の橋みたいですが、これはかつての公儀橋の象徴である擬宝珠(ぎぼし)を再現したものです。

江戸時代にあった公儀橋の親柱の上端には当時、青銅製の擬宝珠がつけられていたそうなんです。

橋の名前は新しい『鴫野橋』に譲ることになりましたが、江戸時代・明治~昭和と続いてきた歴史と格式を継承してるのはこの『新鴫野橋』です。

(↓下の写真は、大川クルーズの船に乗って『新鴫野橋』の下を通過した時の写真です。)

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以前にもとりあげましたが、桜の季節以外は人通りも少なくひっそりとした静かな橋です。

大阪城公園内への一般車両の進入が禁止されていますし、観光客は大阪城ホールに近い方の橋を利用されるという事情もありますが…。

今は一般の人のための橋になりましたが、数百年続いた「公」としての記憶を土地が引き継いでいるのかなぁ~なんて思ったりします。

大阪大空襲の時に、大阪で一番激烈な集中爆撃を浴びた上に戦後長らく無人の更地だった地域で、そういった記憶も引き継いでいるかもしれません。

…ということで、本家本元なのに新加勢大周みたいな扱いで、そしてどこか寂しげな感じのする不思議な橋『新鴫野橋』を今日はご紹介しました。

●oo○ooo●  最後まで読んで下さりありがとうございます。  ●ooo○oo●
この記事が何かのお役に立てたら幸いです!

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  1. 加勢大周以外にも数奇な運命をたどった橋があったのですねw
    ってか、加勢大周、、懐かしいと言うか忘れてました。。
    それにしても、クルーズとか、りんママさんは地元でもいろいろ楽しんでおられるのですね♪
    私は、今の場所、、何も知らない(-_-;)

    • たたとあさん、こんばんは。
      コメントありがとうございます。

      加勢大周、懐かしいですよね!w
      久しぶりに思い出しました。

      クルーズは私の父がチビを
      船に乗せたがった時期があって
      その時にあちこち乗りに行きました。
      私はたたとあさんと逆で
      地元しか知らなくて世界が狭いです(泣)

  2. こんにちは。。

    新鴫野橋の歴史、興味深く拝見しました、おもしろいですね^^
    おバカさく裂ですが、最初私は鴨(カモ)と読んでいました・・・、鴫(シギ)
    なんですね(^^♪
    昔は幕府だったり軍だったり、町民市民そっちのけで、りっぱな建造物をつくっていたんですね。。
    とはいえ、歴史的経緯で鴫野橋の名称をなくすことはできず・・・、
    このあたりが、新加勢大周→坂本一生さんの違いってことになるでしょうか♪

    桜の咲く時期の新鴫野橋の様子はとてもステキです(#^^#)
    ただ、この名称である以上、普段は大阪城界隈の橋として認識される運命でしょうか。。

    • コスモさん、こんばんは。
      コメントありがとうございます。

      生まれてこの方ずっと「鴫」の字を見てるので
      考えたこともなかったのですが
      「鴨」と字がそっくりですよね!
      実はカモは見たことありますが
      シギは一回も見たことがありませんw

      幕府や軍の人は町民とかと別世界に
      住む人たちだったのかもしれないですね。
      今残ってる遺構はすごく贅沢なものが多いです。

      新加勢大周って、そういえば
      坂本一生という全く別名の肉体派タレントに
      転向しましたね。懐かしいですwww
      鴫野橋が全然違う名前にならなくてよかったw

      桜の咲く時期のこの辺りは本当にきれいです。
      来年も見に行きたいです♪

  3. こんにちは、、コメありがとうございました(#^^#)

    発掘現場はどうしても外になりますから^^
    しかも、おそらく基本土相手なので、けっこうな重労働のはずですし。。
    趣味ではなく働くとなれば、内勤はありがたいのかなと思います♪

    スープジャーは、おっしゃる通り“サクっ”とできちゃうところがいいみたいです♪
    私は弁当なんぞ作ったことがないので感覚がわからないのですが、弁当の盛り付けはタイヘンのようですし^^
    朝の忙しい時間帯ですと、余計にそうなんですね。。

    • コスモさん、こんばんは。

      発掘はけっこう大変な仕事なのですね。
      楽しそうなところばかりが
      目についてしまいますが。

      弁当の盛り付けは大変です(汗)。
      スープジャーだと、お鍋にどーんと
      いっぺんに作って、ササっと
      お玉で入れたらいいだけです。
      楽だし温かいごはんにありつけるし
      いいことづくめですねw