こどもと歩く大阪散歩ノート

今日は、旅行記のアップは中休みで、今週日曜の『大阪国際女子マラソン』のコース上にある史跡をご紹介します。

「今年の大河ドラマ『真田丸』にも、もしかしたら出てくるかも」な、大坂冬の陣で徳川秀忠の本陣が置かれた『御勝山古墳』です(白バイの人の後ろの丘が古墳部分)。
実は去年書いた記事で、『御勝山古墳(おかちやまこふん)』については、後日取り上げます、って書いたまま忘れてたことに、先日気づきまして(汗)、急きょアップします。

(去年の記事:『大阪国際女子マラソン』・子供と一緒に観戦記【子連れ観戦ポイント情報】

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御勝山古墳とは?

戦国時代・当時『岡山』と呼ばれていたこの場所は、標高12.2メートルの元・前方後円墳。

長居のスタジアムを出て、平坦な直線コースが続く中、ここにきて少しだけアップ・ダウンがあります。マラソン・コースが、微妙に坂になっているのが分かるでしょうか。(写真:1枚目、御勝山古墳~大池橋交差点、2枚目、御勝山古墳~桃谷交差点)

女の子がプラカードを持って立っていますが、丁度、スタートから11キロの地点になるようです。

大坂・冬の陣で、徳川秀忠の本陣だったこの『岡山』は、大坂・夏の陣では、激戦の地になりました。大坂城落城の後、秀忠に2度の勝利をもたらしたこの場所で、戦勝の宴が開かれ、その際『御勝山(おかちやま)』と名付けられたと言われています。

もしかしたら、大坂夏の陣の激戦『天王寺・岡山の戦い』の『岡山』と言った方が、ピンとくる方もおられるかもしれません。

先ほど「元」前方後円墳だと言いましたが、現在は、 『前方部』と『後円部』を分断するように、今回の女子マラソンのコースでもある道路(勝山通り)が走っていて、古墳の面影はほとんどありません。

選手が走る『勝山通り』。現在、写真の向かって左側は公園、右側は古墳の一部であったであろう小高い丘になっています。

徳川秀忠は、なぜこんな地味な場所に本陣を置いたのか。

「地味」とか書いて申し訳ないんですが、今となっては、本当に影の薄い場所で、特に観光地でもなく、地元民の憩いの場所(公園)で、女子マラソンをきっかけに実際に足を運んでみても、どうして、あんな有名な人(徳川の御曹司・将来の二代将軍)が、こんな場所を本陣としたのか、ものすごく疑問でした。

で、調べてみると、家もビルも視界を遮るものが何にもない戦国時代にあっては、大阪平野にあるこの標高12.2メートルの小高い丘(古墳)は、『真田出丸』と程よい距離を保ちながら、お互いにらみ合うのに丁度良い位置関係だったようです。

参考サイトによると、『真田丸』と『御勝山(岡山)』の距離は、直線距離で2.2キロ。

(地図とデータは、『大坂城・豊臣石垣 公開プロジェクト』さまのサイトより引用)

これは、徳川家康の本陣『茶臼山』(今の天王寺公園や動物園の周辺)と、『真田丸』を結ぶ直線距離と同じ距離。

当時は、『真田丸』から南方向を向いて、左前方に『秀忠』、右前方に『家康』、というプレッシャーになっていたと思われます。

総大将の陣『茶臼山』は標高27.2メートルで、大坂城や大阪平野を見渡す陣地としては『茶臼山』の方が有利なのですが、『御勝山』は、3つの街道と水路が集中する交通の要所で、それぞれの陣に個性と役割があったのかもしれません。

(今でも、歩いて奈良まで行こうと思ったら、旧街道を通って行けるらしいですよ。ツアーもあります。)

今でも、勝山通から古墳の横道を入っていくと、何の変哲もない普通の住宅街に残る曲がりくねった道を歩くことができるんですが、これは『俊徳街道』『鶴橋街道』『桑津街道』といわれた昔の旧街道で、この3つの街道が交差し、その東側には、『旧・平野川』が南北に走る、交通の要所だったんですね。

ちなみに、現在、大阪城の隣にある『大阪管区気象台』は、昭和43年まで、この『御勝山』の南部分の公園にあったそうで、もし今もこの場所に気象台があったら、大阪の桜の開花基準になる標本木は、この周辺にあったかもしれないと考えると、それもまた、おもしろいですよね。

現代でも、地味にコッソリ大阪にとって重要な場所、というのが『御勝山古墳』のようです。

こんなところで、思いがけず『大阪市・保存樹』に遭遇

一応、三街道が交差する場所まで行ってみたんですが、細く曲がりくねった道が、何本も交差していて、道に迷ってしまいそうでした。

ということで、この辺りの散策は、事前の勉強不足により断念。地図とコンパスを持って来ないと、方向音痴には不安な場所でした。

そんな中、お地蔵さまや、地車のガレージの近くに、注連縄が巻かれた大きな樹を見つけたので、そばにいってみると、こんな所にまさかの『大阪市・保存樹』。
 

大阪市の保存樹 第110号の『ムクノキ』。高さが12メートル、幹回りが3.08メートルです。

どうして注連縄が巻かれたご神木なのに、神社が近くにないんだろうと思って調べたんですが、 元々、菅原道真をお祀りした、小さな天神社があったそうなんです。

でも、明治18年の水害で流されたため、少し離れた場所にある『御幸森天神宮』に合祀されたそうで、『御幸森天神宮』には、『菅原神社』という摂社があるんだとか。

保存樹の隣の石碑。 『芳名不朽』と書いてあります。意味が分からず、自宅に帰って調べたら、日露戦争の慰霊碑だそうです。

この石碑や、保存樹、そして道路を見るに、明治の水害の被害は受けたものの、先の大戦では焼けずに残った地域なんだろうな~と推察されます。

不思議なダンジョンのような場所なので、いずれよく下調べをしたうえで、リベンジ(散策)してみたいと思います。

そもそも、『御勝山古墳』って、誰のお墓?

ウィキペディアによると、『大小橋命(オオバセノミコト)』の墓であるという説があるそうなのですが、今も本当のところは分からないままなんです。

『大小橋命』というのは、『天児屋根命(アメノコヤネノミコト)』の子孫・中臣氏族で、『岩船伝説』で有名な『小橋(おばせ)の里』(今の、大阪市東成区・天王寺区・生野区をまたぐエリア)の豪族、という記録が残っています。

今も、近隣の区に、『小橋町』や『東小橋町』という町名が残っているので、「説」でしかありませんが、何らか関係があるのかもしれませんね。

『大小橋命』は、西暦180年位の、かなり古い時代の人なので、この周辺は、相当大昔から人が暮らしていた土地、ということになります。

西暦1600年代の戦国時代から、はるかに一千年以上もさかのぼる時代からあった古墳ということで、なんだか歴史のロマンを感じますね♪

「地味すぎて、なんでここが秀忠の本陣だったのか分からん」なんて、失礼なことを考えてスミマセンでした、ということで・・・(笑)

この御勝山古墳を、マラソン中継中に見ることができる時間は?

「見ることができる」と言っても、選手の走りって、ものすごい早いので、1~2秒で通りすぎちゃうんですけど、 先頭集団の中継車からの映像がもし入れば、この古墳周辺がテレビに映ります。

ちなみに、この『勝山通り』は、大阪国際女子マラソンのトップ集団と、ハーフ・マラソンの出場選手がすれ違う地点としても有名です。

公式サイトによると、往路は「12時45~59分」に、先頭集団が今里筋・大池橋交差点を通り過ぎる予定なので、御勝山古墳を通り過ぎるのが、それから1分後位。

復路は、時間にかなり幅があって、玉造筋・勝山4丁目交差点を、「13時59~14時44分」ごろに先頭の選手が通り過ぎる予定なので、そこからプラスして2~3分後位に、テレビに映ります。

何年か前には、大池橋交差点に、TOKIOの国分太一くんがレポーターとして来ていたりして、けっこうテレビに映る機会が多かった場所なんですが、今年(2016年)は、誰か有名人が来てくれるでしょうか・・・。

まぁ、先頭集団じゃない、後方集団に、たまに中継が切り替わったりするので、必ず映るとは限りませんが、この時間帯に中継を見ていると、『真田丸』近くの道路や大阪城も選手が走るので、参考までに♪

以上、『御勝山古墳』のお話でした♪

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