ちょっと前の話題ですが、石原裕次郎さんの三十三回忌の様子を報道で見ました。
まだ子供の時、大阪城公園で石原軍団のイベントがあり、石原裕次郎さんを生で見たことがあります。(豆粒みたいに小さかったですが、一応嬉しい思い出♪)
52歳でお亡くなりになったそうなんですが、子供心におじさんだと思っていた裕次郎さんに、どんどん自分の年が近づいてきてしまい、我ながらビックリw
今考えてみたら、すごくお若くして亡くなられたんですね。
で、本題なのですが、奥様のまき子夫人が「30年を区切りに弔い上げとしたい」と仰っていたのを聞いて、「弔い上げ」という区切りは、自分で決めていいんだ!と初めて知りました。
よくよく考えたら、50年もの長い間コンスタントに法要を執り行えるかどうか未知数ですし、核家族化が進んできた今となっては、うちに限らず、長年法要を続けるのは難しくなってきているかもしれません。
調べてみると、世間一般での区切りは、「三十三回忌」と「五十回忌」で、それ以外にも、自分や家族で考えて、弔い上げの区切りをつけることができるそうです。(例えば「十七回忌」なども節目)
逆に、可能であれば「五十回忌」と言わず「百回忌」までやってもいいそうで、とにかく自分が「ここで区切り!」と思ったところが、そのご家庭での「弔い上げ」となるそうです。
石原家では、まき子夫人もお年を召してこられて、自分の体がちゃんと動いて意思決定もできる内に、区切りをつけることができ、ホッとされたのではないでしょうか。
以前うちで、亡き家族の五十回忌を執り行ったのですが、初めてのことだったので、すっかり「弔い上げは五十回忌」と勘違いしてしまっていました。
自分の代では、先祖の50回忌ができる位長生きできるかなとか、こっそりプレッシャー(?)に感じていたんですよねw
五十回忌というのはなかなか出席する機会のない場なので、とにかく情報が少なく、準備が大変だったので、印象に残ったお坊さんの法話とあわせて、メモ代わりに体験談を残しておきたいと思います。
五十回忌の準備&あれこれ
最初に言っておかないといけないのは、下記に色々と書いたのは、関西地方の風習にのっとったやり方です。(ちなみに宗派は真言宗)
決して全国共通の決まりじゃないので、「あれ?うちと違うわ!?」という所もあるかもしれませんが、ご了承ください。
で、話は変わって、五十回忌法要の体験(?)談ですが、我が家の実家で、亡き家族2人の五十回忌を、私の祖父の法事と併せて執り行うことになりました。
この五十回忌、私だけじゃなく家族全員初めての体験で、いろいろ分からないことだらけで大変でした。
実は、五十回忌というのは、「法事」でありがながらも、「慶事」にもあたるそうなんです。
なので、事前に準備するものも、お灯明が赤いろうそくだったり、お赤飯や引き出物(?)を準備したり、すべてが初体験でサプライズの連続でした。
ネットにもいろいろと情報はありますが、宗派や地方によって色々あるので、一番いいのは地元のお店で聞くことだと思いました。
参考までに、誰に聞いて準備したのかメモしておきます。お店で色々と教えていただいて、滞りなく準備が進みました。
- 五十回忌全般について ⇒ お寺さん
- 赤い蝋燭などお仏壇まわりについて ⇒ 仏具屋さん
- 引き出物について ⇒ 百貨店の店員さん
- お赤飯 ⇒ 地元の和菓子屋さん
当たり前すぎて、書くほどのことじゃないですねwww
でも、「ろうそくも引き出物も、楽天で買えば一回で済むんじゃね?」と思ったんですが、ろうそくの形とか、熨斗ひとつとっても色々あり、素人では分からなかったんです。
熨斗も地方とか、五十回忌が弔い上げなのかそうじゃないのかによって変わるので、実店舗で買うのは面倒だし高いんですが、これはアドバイス料込みなんだと思って、地元のお店に相談して購入しました。
ちなみに、引き出物の熨斗ですが、紅白だとは聞いていましたが、五十回忌である旨伝えると、一瞬で段取りが整いました。さすがは百貨店の店員さんです。
ちなみに五十回忌に使うのは、同じことを繰り返さないよう「結び切り」の紅白の熨斗の方だそうです。
「結び切り」と「蝶結び」の二つの熨斗の違いが、いまだに厳密に区別できていなかった私です(恥)
お赤飯も、五十回忌である旨伝えると、黒いお重(風のプラ容器)に入れて風呂敷で包まれたものが、ちょっと高級目な感じで届きました。
五十回忌に何を着て行ったらいいのか迷った話
五十回忌は、お招きするほうも何だかんだ大変でしたが、おそらくお呼ばれ(?)されるほうも、分からないことがたくさんで大変だったと思います。
…が、うちはお招きする側だったので、招かれる側のあれこれは今回分かりませんでした。すみません。
ただ、親せきから一番多かった問い合わせは「服装」でした。
赤飯や引き出物を用意すると聞いて「え?どういう場で、何着て行ったらいいの?」と、ほぼ全員もれなく戸惑ったみたいですwww
「慶事なんか、弔事なんか、どっちやねん!」的な…。
これはお寺さんに確認したところ、「弔い上げという区切りの式なので、一番格式の高い喪服が望ましい」ということだったので、大人は喪服着用ということに皆で決めました。(私は洋装の喪服&黒パンスト)
ただし子供達には、わざわざ買ってまで服を用意しなくてよいことに決めて、それぞれダークな色目の私服を着せました。(靴も普通に運動靴)
服のことまで頭が回らなかったのですが、遠慮なく聞いてもらえる関係で助かったなと思ったのと同時に、気を使わせないようこちらから服を指定するべきだったなと、自分達の至らなさを反省しました。
ちなみにうちは、別にかしこまった理由で喪服に統一したのではなく、平服にしたらしたで、女性陣がどんな服を着たらいいかで結局迷うので(笑)、何も考えなくていい喪服にした次第です。
五十回忌位になってくると、出席者はほぼ家族・親戚なので、もし呼ばれることがあったら、遠慮せずに「何着て行ったらいい?」と確認するとよいですよ。
お寺さん曰く、服装はそれぞれのご家庭で決めていいので、「平服」とかでも全然構わないそうです。
近しい人だけだったり、若い人だけだったりすると、家庭によっては「平服で」となる場合もあるかもしれませんので、良好な関係を築けている間柄なら、直接聞いてみるのが一番です。
もし聞きづらい雰囲気があったら、お寺さんの仰るよう「一番格式の高い服装」、つまり「喪服」を着ていけば、失礼にあたることなく無難だと思います。
全般的な印象で言うと、お迎えする側にとっては慶事だけど、呼ばれる側は「実質、慶事だけど弔事のつもりで」な感じで、間違っても「いや~、めでたい♪」と笑顔&華美な服装で出向く場ではないです。
「弔事だけど慶事」というのは、用意する側は決め事がちゃんとありますが、呼ばれる側にとっては、すごく難しいですね(苦笑)
なので繰り返しになりますが、もし呼ばれた際には、服装にしても香典袋にしても、一人でもんもんと悩むより、詳しい人や主催者と相談して決めるのが一番だと思いました。
お坊さんの法話
最近の都会では、家族構成の変化や住宅事情などいろんな事情で、五十回忌までお勤めができるのは極めて少ないことなんだそうです。
50年近くもの長きにわたって、家族や親戚が定期的に集まって故人を偲んだり近況報告をしあったりできること自体がとても幸せなことで、仏様への何よりのご供養になるとのこと。
そしてご住職さんも、都会のお寺では五十回忌が執り行われるのは少ないそうで、今日このような場でお勤めができて、とても慶ばしいと仰ってくださいました。
ご住職さんが法話でおっしゃっていたのは、ご供養というのは、ある意味「生きている人のためのもの」である、ということ。
みんなが心の整理をつけて心の安らぎを得ている様を見て、仏様(ご先祖様)も安心できて、結果、「こちらの世界」も「あちらの世界(あの世)」も両方ハッピーになるのが、望ましいかたちなんだそうです。
なので、五十回忌法要の準備は色々戸惑うことが多かったですが、万が一にも自己流(自己判断)な部分や至らない部分があったとしても、そんなに気に病む必要はないのではないでしょうか。
何かあったとして、なんだかんだ言うのは結局生きてる人間(ちょっとうるさい家族とか親せき?)の方で、ご先祖様の方じゃないですからねw
このお坊さんの法話で、「何か間違ったことしてるんじゃないかしら」とビビりながら準備を進めた母や私も、一気に気持ちが軽くなりました。
ということで、以上、五十回忌が滞りなく終了。
法要の後、我が家のお墓のあるお寺さんに行って、全員でお墓参りした後、これまた全員で場所を移して、子供達お待ちかねのご馳走タイム♪♪(お食事会は、「木曽路」というチェーン店。人数次第でバスで送り迎えしてもらえて、法事用のお膳を用意してもらえます。)
法要を終えてお膳の前に座った年配の大人達は、全員一様に晴れやかな顔で「ホッとした」「やっと区切りがついた」と言っていました。
思えば、何の心の準備もないまま、ある日突然2人いっぺんに家族を失って、まだ年若かった父や父の兄弟たちもいろんな思いを抱きながらずっと生きてきたわけで…。
前にもどこかの記事で書いたことがあるのですが、あの破天荒な祖父(故人)をして、毎日の読経&供養と、足腰が元気な限り、長年エンドレスで四国八十八か所を回り続けたほど、ショックな出来事だったみたいです。
お坊さんは、50年家族が元気で親戚関係も続いた幸せを話題にしてくださいましたが、逆に考えると、50年も法事ができるほど、年若い時に家族を亡くした、ということでもあるので、なんとも複雑ですね。
50年前の家族なので、私も従兄弟たちも故人たちと面識がないのですが、私の父やその兄弟たちの様子をずっと見てきたので、「お疲れ様でした。」という言葉がなぜか自然と出てきました。
「供養はある意味、生きている人のためのもの」というお坊さんのお話が、なんとなく実感できた瞬間でした。
この後、これでホッとしたのと疲れとで、実家&うちの家族全員が体調不良になったり寝込んだりしてしまいましたwww。(ちょっと前の話なので今はみな元気です)
これでもう本当の本当に、親たちも自分の人生を自由に、自分のためだけに、楽しみながら遠慮せずに人生を送っていってくれたら、と願ってやみません。
コメントありがとうございます!
おはようございます。。
正直に言います、、私は『五十回忌法要』というのを、おそらく初めて知ったと思います。。
弔い上げというのも、先日の石原裕次郎のニュースで知りましたし、みた感想としては、・・・ということは、今後は永代供養的なことにでも、シフトするのかしらん、よくわかんないけど(‘ω’)・・・、という程度(汗。。
これまたぶっちゃけなのですが、自身が埋葬されたお墓のことなど、故人さんにとっては、ある意味知ったこっちゃないということなのかと感じますので、つまりは、そこは残された方々のキモチ等の部分が大きいのかと感じます。。
そういう風にナナメからみても、「供養はある意味、生きている人のためのもの」というお坊さんのお話は、タイヘンよくわかりますし、ストンと落ちるものがあります^^
それにしてもイザ準備となると、金銭的なことも含めて、タイヘンそうですね、、その数々の“当たり前すぎる”ことすら、その渦中にいると、頭の中が沸騰して、思考がまわらなくなると思いますから。。
感じたのは、こういう時はネットではなく、人のつながりを感じられる相対のほうが、やっぱりいいのかなと(^^♪
とにもかくにもご苦労様でした
これで、関係者みなさんの心理的な部分において、晴れた状況のなかで、これからの長い将来、みなさんが無事生活していけるといいですね。。
きっと弔ってもらったご先祖様の方々も、それを一番に願っているのではないでしょうか。。
コスモさん、こんばんは。
>とにもかくにもご苦労様でした
ありがとうございます♪
五十回忌、というのは
あまりポピュラーじゃないですよね。
私も今回、人生初ですし
多分この先もないと思います。
(私の代でできる自信全くなしw)
>自身が埋葬されたお墓のことなど
>故人さんにとっては、ある意味知ったこっちゃない
>ということなのかと感じますので
ですよね~。
私も、自分の墓とか法要のことで
チビとか子孫に悩んでほしくないので
残された人たちで適当に気のすむように
済ませてほしいなと思っていますw
>こういう時はネットではなく
>人のつながりを感じられる相対のほうが
そうなんですよね。
対面で話をしたら一瞬で解決しますが
メールだと何往復かしないといけないですし…。
ただ、すごく頼りになった仏壇・仏具屋ですが
過疎っぷりが今後心配です。
(賑わっててもおかしいんですが…)
百貨店も昔ほど人がいませんし
職種に限らず「実店舗」の今後が心配です。
まぁ、いろいろと大変でしたが
親たちの気が済んだみたいなので
いい幕引きになったとスッキリしています♪
おはようございます。。コメありがとうございました♪
>親以外に、手の空いた男の先生とか校長先生とか
>あと、大学生のお兄さん達(ボランティアさん)が
>誰かしら教室にいる状態にしていました。
>(子供が1クラス30人位しかいない教室に
>大人が4~5人必ずいる状態(汗))
おそらくですけれど、コチラの小学校、そこまでの対応は、していないのかなと思います。。
学校公開&懇親会の翌週からこの体制のはずなのですが、少なくとも6年生のクラスは、いつもと変わらない様子だったようなので。。
つまりは、いつもの父兄さんはこられてはいるのですが(汗。。
オシャレな立ち飲み屋さんであれば、短い時間でのちょろっと飲みができそうなので、もちろん料金も気になるのですが、私も興味ありです♪
ただ現在は車通勤なので、そういう機会がないのですが(´;ω;`)
コスモさん、こんばんは。
>いつもと変わらない様子だったようなので。。
結局、来る人は同じだったのですねw
確かに、いつ来てもOKと言われても
授業中フラッと行くのは勇気がいります。
(それを考えたら、毎度来てる(来てた)
某さんはある意味すごい勇気ある人ですよねw)
>オシャレな立ち飲み屋さん
私は、もし子供がいない独り者だったら
仕事帰りに立ち飲み屋で晩御飯を済ませる
人になってたような気がしますw
電車通勤者の特権ですねwww