『三光神社』のお参りに引き続き、『真田山陸軍墓地』の桜見物に行ってきました。

こちらも、家族連れや、ママ友仲間、近隣の老人施設の方々など、お花見の人でいっぱいでした。

芝生の上で、子供たちが遊び回り、ワンちゃんも走り回り、車いすに乗ったお年寄りが桜の木の下で休憩している、そんな何気ない日常の幸せな光景・・・

これは、とてもよいご供養になりそうですね(^o^)

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真田山陸軍墓地についての疑問を調べてみました。

ここの陸軍墓地のお墓は、ほとんどが先端が四角錘になった墓石で、普通の四角柱のお墓とどう違うんだろう、って思っていたんですが、先日やっと理由が分かりました。

諸説あって、「これが絶対に正しい」という一つの正解はないので、主な説を2つシェアします。

 

『四角柱の先端が四角錘になった、神道式の墓石が採用された』という説

先端が四角錘の墓は、『奥都城、または奥津城(共に読み方は「おくつき」)と呼ばれる神道系の墓で、独特な墓の形は、『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』を表しているそうなんです。

『あめのむらくもの剣』というと、熱田神宮にある三種の神器『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』のことですね。

確かに剣にも見えなくもないですが、このお墓の形は、エジプトの「オベリスク」っぽい形にも見えます。

古代エジプトや古代ユダヤと、古代日本は、物理的距離が遠い割に、何かと共通点が多く、最近ネット上でも、あれこれ憶測したり謎解きを楽しむ人が多いんですが、あながち否定もできない位似ているところが実際あり、なかなか興味深いですね。

【資料&参考】Wikipedia『奥都城』 
 戦没者のお墓の墓石はなぜ(エジプトのオベリスクみたいな)先の尖がった柱状なんでしょうか?

 

『明治の陸軍省が考えた、軍人用墓碑の統一規格』という説

あと、もう一つの説は、明治の陸軍省により、階級毎に墓碑の規格の統一がされたことが始まりで、以後、規格品のように同じような形の墓碑が使われるようになったというもの。

神道の影響が大きかったという説と、元々、墓標が木柱だった時代に先端の腐蝕を防ぐため、四角錘状にカットされていたものが、そのまま石の墓標にも採用された、という説、その他、公募でこの形が選ばれた、など諸説あるようです。

資料によると、陸軍省(海軍省)により、墓の形状・材質などの規格から、埋葬場所まで、かなり細かく規定があったみたいですね。

古い時代には、一旦徴兵されて入営中に病死しても、故郷に帰ることは許されず、軍の管理する墓地に、階級毎に埋葬されたんだとか・・・

確かに、『真田山陸軍墓地』は、階級毎に墓地の場所が分かれていますし、「戦死じゃなくて国内での病死なのに、どうしてお家に帰れずにここに埋葬されたんだろう」という、私が持っていた疑問も、この説で解消します。

陸軍墓地に埋葬された人は、どうして家に帰って先祖代々の墓に入らず、故郷から離れた地で、個人名と階級が刻まれたお墓に入っているんだろう、と、ずっと疑問に思っていたんですよね・・・

うちの父方には、戦争で亡くなった先祖(祖父の弟)がいますが、陸軍墓地ではなく、父方の自宅近くにある、先祖代々のお墓に埋葬されているんです(亡くなったという知らせだけで、本人は帰ってこなかったので、形だけの埋葬ですが)

戦地で戦死してそのまま帰れなかった人あり、国内で療養中に亡くなったけど故郷に帰ることを許されなかった人あり、人それぞれ、いろんな人生があったんですね。

【資料&参考】軍人の墓は先が尖った形をしている。なぜか?

という訳で、陸軍墓地の墓標の形の謎は、一応解決したんですが、徴兵された一般の兵隊さんというと、きっと10代位の若い男の子が多かったんじゃないかなと思うと、私も男の子のママなので、「きっとお家に帰りたかっただろうな・・・」と、つい感情移入しちゃいました。

この日は、なんだかんだ長居をしてしまいましたが、満開を少~し過ぎた桜からは、風が吹く度に、桜吹雪が舞い散っていました。

去年は、タイミングを外して、桜の三光神社と真田山陸軍墓地を見ることができなかったので、今年はラッキーでした♪


陸軍墓地がかたる日本の戦争

さまよえる英霊たち―国のみたま、家のほとけ

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