今日の記事は、大阪市天王寺区にある『大江神社(おおえじんじゃ)』後編です。
前回は、大江神社内にある毘沙門堂跡をまずご紹介しました。
阪神タイガースの話がしたくて前後が逆になっちゃいましたが、こちらの後編が神社紹介の本編ですw
ややこしくてすみませんm(_._)m
大江神社の所在地
大阪市中央区・谷町筋沿い、道路東側が四天王寺でその向かい・西側に大阪星光学院があるのですが、その角を曲がって直進すると『愛染堂勝鬘院』があります。
愛染さんの前を通り過ぎて直進すると、道路の先が二股に分岐していて、左の下り坂は『愛染坂』です。
右側に進んで鳥居をくぐれば大江神社に入れます。
真正面から鳥居を見るとこんな感じ。
この日は境内で絵画に関するイベントをやっていていて、人も自転車もいっぱいでした。
鳥居の前には一対の狛犬さんがおられました。
御由緒・御祭神
大江神社は、四天王寺の鎮守として聖徳太子が建立したとされる『四天王寺七宮』の一つです。
ご祭神は、豊受大神、素戔嗚尊、欽明天皇、大己貴命(大国主命)、少彦名命 。
正確な建立年は不明ですが、四天王寺創建の頃(593年)ということで、ほぼ同時期と考えられます。
聖徳太子は仏教を大切にしていたイメージがありますが、神社(神道)をぐるっと四天王寺の周りに配置するということは神道も大切に尊重していたことが伺えます。
手水舎とその横にある”通れない”鳥居
神社に入って直進するとすぐに手水舎とその隣の鳥居が見えてきます。
この南の鳥居ですが、くぐることはできるんですが、その先すぐに行き止まりです。
昔はこの鳥居の先に参道があったらしいですが、今は木の生えた崖になってます。
もしこっちの参道が今もあったら、階段を下から上がってきたら真正面に拝殿が見えたはずです。
この”通れない”鳥居は元禄5年(1692年)に建てられた様で、何らか事情があってこちら側の参道が廃止されたのでしょうね。
手水舎でのお清めを済ませ、くるりと後ろを向いたらそこには拝殿があります。
拝殿
こちらの拝殿は先の大戦の空襲で焼失したため、昭和38年に建て替えられたものです。
先の大戦では、絵馬堂と神器庫だけ無事で残り全てが消失したそうです。
以前訪れた安居神社はこの大江神社のすぐ近くですが、安居神社の拝殿も空襲で焼失して建て直されたものでした。
谷町筋渡って東側にある四天王寺も空襲で被害を受けていますし、この辺りは空襲が激しかった地域なんだなということが伺い知れます。
狛犬さんが一対。右の狛犬のすぐそばの提灯の下に白いニャンコがいます♪
ここの神社は、猫(地域猫?)がたくさんいました。
あちこちでニャンコがひなたぼっこしてて、猫好きとしては思いがけず嬉しい出会いでした♪
この後、お参りを済ませて、境内を散策しました。
本殿の向かって左側(西側)には、日吉稲荷大明神と毘沙門堂の跡がありました。
前回ご紹介した毘沙門堂跡はここにありました。
大江護国神社
『蛤御門の変』で戦死した48名の長州藩士がご祭神の神社も、境内にありました。
立ち入り禁止になっているようで中に入れませんでしたが、奥の方に鳥居とお社が見えました。
明治3年(1870年)に山口藩(長州藩)によって建立され、明治23年(1890年)には『山口藩殉難諸士招魂碑』も建てられたそうです。(参考:Wikipedeia)
絵馬堂
ここまで、神社関連をご紹介しました。
上のパノラマ写真で言うと、写真右から入って左の方に散策していきました。
左の端っこに黒い屋根が見えますが、先ほど空襲で焼け残ったというお話で出てきた『絵馬堂』です。
私が行った時は、ロープが張られていて入ることができませんでした。
絵馬堂の左側に石碑がありますが、これは松尾芭蕉の石碑です。
芭蕉の句碑
この石碑には、芭蕉が元禄7年(1694年)9月26日に詠んだといわれる句が刻まれています。
『あかあかと 日はつれなくも 秋の風』
芭蕉もここから海に沈む夕陽を見たんですね♪
…というか、芭蕉はこの同じ年の10月12日に大阪の難波(今の南御堂あたり)で亡くなっているので、この句は亡くなるほんの少し前に詠んだ句なんですね。
9月9日に大坂入りしたのち、芭蕉を招いての句会(歌会)が大坂の各地で何度もあったようですが、その後体調を崩してそのまま回復することなく客死します。
ここで夕陽を見ていた時は、芭蕉はそんな運命を予見できたのかできてなかったのか…。碑を見ながらしばし思索にふけりました。
夕陽岡の碑
芭蕉の碑の左隣には、『夕陽岡の碑』という石碑があります。
大江神社が建っている場所は上町台地の上になるんですが、大昔、上町台地から西側は浜と海だったそうなんです。
なので、この地は古来景勝地として有名で、ここから見える夕陽がとても美しかったという記録が今も残っています。
大阪市の上町台地から西が海だった話は、前出の安居神社や今宮戎神社の記事でも取り上げました。
↑石碑に『夕陽岡』と書いてあります。
高台に位置するこの場所からは綺麗な夕陽が見えたということで、この碑が建てられています。
どのくらい高台なのかは、次にご紹介する『百歳の階段』の写真を見ていただけるとなんとなくイメージできると思います。
石碑のすぐ横は、西側へ降りる石段になります。
百歳の階段(ももとせのかいだん)
この大江神社には東側から入るルートと、西側から入るルートがあります。
東側の鳥居は愛染坂の上に、西側の鳥居は愛染坂の下に位置します。
古い資料によると、どうやらこちら側の鳥居の方が古い時代の正式な入口のようです。
ここの階段、101段もあるのですよ。ゼエゼエ
ここの階段は大好きな場所で、かなりの高確率でかわいいにゃんこに会えます♪
さきほども触れたように、昔は上町台地より西側は海だったそうなので、ここから先に海の景色が広がっていたんでしょうね。
一度見てみたい景色です♪
大阪市保存樹林・第14号
最後にご紹介するのは、大阪市の保存樹林です。
一番メインとなる木は、こちらの『くすのき』。
大きすぎて、引いても全体が写りません。
だいぶ後ろに引いてやっと全体が写りました。
高さ14m、幹回り1.86mあります。
この保存樹以外にも、この神社には約130本もの樹木が生い茂っていまして、それらすべて合わせて『保存樹林』として指定されています。
大阪市内のど真ん中にあって、これだけまとまって木がある場所は貴重です。
そして、四天王寺を守護する神社の中に、芭蕉の記念碑や長州藩士の鎮魂碑や阪神タイガーズの聖地が色々盛沢山で、時代も背景もバラバラなものがちゃんと調和していて不思議な感じがしました。
飛鳥時代、江戸時代、幕末明治時代、平成時代、と1400年この地に在り続けた証みたいな感じでしょうか。
…ということで、たくさんの木々や地域猫達そして狛虎さん達にも出会える、とても気持ちのよい神社『大江神社』をご紹介しました♪
大江神社・所在地&地図
住所:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
アクセス:最寄駅:Osaka Metro谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅下車後、徒歩約3分
コメントありがとうございます!
神社仏閣…あまり興味なかったのですが、大河を観だして興味持ちました。
が、すぐに忘れるのが難点です(* ´艸`)
その場所の昔を思い返すと…、なんか感慨深いですよね。
この景色、同じではないのでしょうが、その風景を年月を超えて見てるってすごい。
たたとあさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
大河見てるとゆかりの神社仏閣とか
興味出てきますよね。
>この景色、同じではないのでしょうが、その風景を年月を超えて見てるってすごい。
そうなんですよ。私も同じこと考えました。
数百年後、「野球という古代の競技の聖地」
とか立札がたってたら面白いなと思いましたw
こんにちは。。
たまたまのタイミングのようてすけれど、
鳥居や狛犬とかの前に、遠慮なく自転車が停められているところが、
なんかいいですね^^
この神社が、近隣の方からも愛されているのがわかります♪
カラーコーンがうつっているようなので、ソコから道路側なら、かまわないのでしょうね^^
歴史も古く、さらにはここまでさまざまな出来事もあり、
さらには晩年の、あの松尾芭蕉も訪れるとなると、
当然ながら地元のみなさんのみならず、多くの方が護ろうとしてくれているのかと思います。。
くすのきは、なんだか映画のとなりのトトロの1シーンを連想させますね~♪
コスモさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
そうなんです。自転車とか止め放題でwww
当日イベントあったからというのもあるんですが
ここは駐車場も駐輪場もない場所でw
人の集まる場みたいになっているので
訪れる人も親しみを持っているんだと思いました。
ここは歴史上有名な人が訪れたであろう場所なのですが
この辺りに港があった頃はかなり賑やかな
今でいう観光地&繁華街みたいな感じだったみたいです。
確かに、木々がここ(神社周辺)だけ
こんもりしてて懐かしい感じのするエリアです。
時間が止まっているような不思議な感じがする場所です♪
こんにちは、、コメありがとうございました(#^^#)
>厚紙に写真はった・・・
私も受験票といったらコレ^^ 気のせいか恐れ多いモノなのですが、
今やプリントアウト・・・、、特にウチの子は、感慨はなかったかもしれませんw
私と同世代の校長先生は、どうも定年退職の時期となるようです(;^ω^)
なので私も、ひと昔前だったらもう、
おなじような境遇だったかも・・・、そんな年齢です。。
今は時代が変わりました。。
そんなわけで校長先生は悠々自適なのでしょうけれど、私はそうはいきません、、
少なくとも娘が学校へと行ってる間は、
なんとか会社にしがみついてないといけないのでw
コスモさん、こんばんは。
今の60歳と昔の60歳はずいぶん違うので
定年になる年頃と言われてもピンとこないですよね。
人が定年になるのを見て「もうそういう年なのか~」
と初めて実感するのかもしれません。
それにしても、60歳で定年というのは
今の時代にあってない気が個人的にしてます。
働いている方が張り合いがあって
元気でいられるような気がしますw