金環日食(金環日蝕)、皆様、堪能されましたか?
我が家は今朝、実家の屋上にレジャーシートを敷いて、4人で朝ごはんを食べながら日蝕を鑑賞しました(笑)。
デザートは、屋上の摘みたていちご(写真のチビの斜め前の四角い鉢)。
最初は明るかったのですが、日蝕が金環食になる頃には、薄暗くて気温も低くなりました。
普段全く意識していませんでしたが、太陽の光というのは本当に有り難いものですね。
暗くなったところを写真に収めたくてカメラを向けたのは、2014年3月竣工予定の大阪・阿倍野近鉄の新しいビル、『あべのハルカス』。
完成したら地上60階・高さ約300mの日本一高いビルになります(ちなみに現在日本一高いビルは横浜ランドマークタワーだそうです)。
ちなみに日蝕の写真は、父に任せていたのですが全滅。
途中、伊丹着の第一便の飛行機が来たので、日蝕とツーショットで撮るように頼んだのですが、後で見たら、日蝕も飛行機も写っていませんでした。
もっといいカメラが欲しいと言い出しましたが、多分カメラのせいではないと思います。
一応、せっかくご飯そっちのけで頑張ってくれたので父の撮った写真も(笑)↓
なにコレ?日食じゃなくて、ただの空だしw
ともあれ…。家族で屋上で朝ごはんを食べるのは、これが最初で最後だと思います。
写真がイマイチで日蝕の雰囲気が伝わりにくいですが(笑)、とても楽しい思い出ができました。
ちなみに、今年(2012年)6月6日に金星が太陽面を通過するらしいので、日蝕グラスは捨てずに取っておいた方がよさそうですよ♪
大阪で次回金環日食が観測されるのはいつ?
次回のタイミングを探していたら、すごいサイトを発見してしまいました。
『日食ナビ』というサイト様ですが、日本人が日食について知りたい情報がすべて網羅されています。
その中で、大阪で西暦1年から西暦3000年の間に起こる金環日食の一覧表が記載されています。
同じページに、皆既日食の一覧表もありますので、ご興味のある方はぜひ『日食ナビ』様へどうぞ♪
(ちなみに皆既日食は、私や私の子供や孫が生きている間起こりませんが)
画像転載:日食ナビ・日食一覧表・大阪府大阪市
日食ナビ様の情報をお借りすると、大阪では、3000年の間に7回金環日食が起こり、次回は丁度300年後の、2312年4月8日の朝6時53分30秒から、1分45秒間起こるそうです。
(余談ですが、北海道は日食がすごく多くて、次回の金環日食は2030年だそうです。金環日食に関しては3000年の間に20回もあります(驚)→ご興味ある方はコチラ(日食ナビ・北海道のページ))
今回2012年の大阪では、金環日食だったのは2分47秒間でしたが、ほんの数分ほどでしたが、日光がないだけで、肌寒くひんやりしました。
日食って、起こる日時が分かっているから「天体ショー」として楽しめますが、大昔の人はビックリしたんじゃないかな~って思います。
ちなみに、前回大阪で金環日食があったのは、上記の表によると1730年で、今から282年前。
せっかくなので、282年前のことも調べてみましょう♪
1730年の金環日食はどんな感じだったの?
調べてみると、日食や月食は、かなり昔から予測可能だったようで、ビックリしました。(以下、ウィキペディア「日食」を参考)
太陽の運行周期と月の運行周期の公倍数から食が発生するというような、ざっくりとした予報は、紀元前2千年頃の中国では既に可能だったようですね。
そこから膨大な年月を経て、データをとり続けた結果、予報の精度が高まっていったそうです。
日本では、持統天皇の時代に暦博士が日食の予定日を計算し天文博士が観測するシステムが出来上がっていたそうで、奈良・平安時代の頃には、多少のずれはあるものの、ほぼ正確に予報可能だったのだとか…。
ただ、細かく天体の変化を知ることができたのは、時の権力者や有力者、学識者など、暦を手に入れたり、日食を理解することが出来る人に限られていたようです。
ウィキペディアによると、1183年の治承・寿永の乱における水島の戦いで、戦闘中に金環日食が起こり、源氏側が混乱し平家が勝利したという記録が残っているそうで、これは、平家が日食の予報を知っていて戦闘に利用したという説があるそうです。
さて、1730年7月15日(享保15年6月1日)の金環日食のお話ですが、ウィキペディアによると、時は徳川吉宗の徳川幕府の時代。
享保15年というのは、日本では、本居宣長が生まれた年なんだそうですが、あまりピンとこない…。
この年に起こった大事件というと、4回起こった享保の大火の内の一つ、京都・西陣で起こった「西陣焼け」。
ちなみに、学校で習った「享保の大飢饉」というのは、それから2年後の享保17年だそうです。
ピンとこないついでに、お隣の朝鮮半島では李氏朝鮮・英祖の時代。韓国ドラマ「トンイ」の時代の頃(英祖の子供時代のヨニングンが出てくる(笑))。
そして中国では清朝・雍正帝の時代。香港映画とか中国映画でたまに出てくる「血滴子(フライングギロチン)」の時代(笑)
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日本でもこれくらいの時期になると、一般の暦にも日食や月食の予測(基準は京の都のもの)が記載されていたようです。
当時の京都では、当日「食分0.8」という、三日月みたいな形に見える日食になるという予報が出ていたそうなのですが、実際は完全な金環日食だったようです。
ちなみにこの時は、近畿と中国・四国の一部でしか観測されなかったそうですが、幕府天文方が編纂した『寛政歴書』には、「於京師書 見金環食」という記載が残されているそうです。(情報元・大阪市立科学館)
『とある魔術の禁書目録』というアニメに、土御門元春くんという陰陽術の使い手が出てきますので、ご存知の方も多いと思いますが、京の都には、土御門家という、陰陽師・安倍晴明の直系子孫がいました。
(アニメの土御門君は、陰陽師という設定の架空の人なんですが)
室町時代から江戸時代にかけて1200年近く、天文や暦法、祭祀・占い(易)をつかさどっていた家系なのですが、江戸では見ることのできなかったこの1730年の金環日食も、きっと観測していたことでしょう。
(今でも福井県に「おおい町暦会館」という記念館があります。)
大阪の記録を見つけることができなかったのですが、大阪でも京都に近い形で金環日食が見えていたかもしれません。(記録を探したのですが、京都ものしか見つけられず…。ちなみに参考サイトはコチラ『金環日食むかしばなし』)
で、当時は一般の人は日食を待ち構えて観測する、というようなことはなかったみたいですね。
考えてみたら、観測用メガネもない時代、太陽を直視できないですし(笑)、「暗くなってきたなぁ~」とか「寒くなってきたぞ」みたいな感覚で日食の時間を過ごすしかないですよね。
実際にみっちり観察していたのは、暦や天体に関連する人たちということになるのでしょう。
ということは、庶民が天体ショーの日時を事前に知ることができ、観測グッズまで用意してその時間スタンバイできる、という現代は、とても幸せな時代だということになりそうですね♪
以上、2013年と1730年の金環日食のお話でした(^o^)
コメントありがとうございます!
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